あべゆか

日常】暮らしの中に「余白」を取り入れてみる。

いとしまシェアハウスにいたころに、シェアメイトと「暮らしの中の余白って大事だよね」という話をしました。

それ以来、何度か思い出して考えて、余白を意識するようになりました。
今回は、そんな余白の話。

「新しいなにか」は「空いている時間」にしか入ってこない

余白の大切さは、
スケジュールをすべて埋めがちな私が、自分自身によーく言い聞かせていることでもあります。
まあでもついつい忘れてしまうことも多々ありますが。。(よく眠るので。。笑)
「余白」の時間に自分が何をすることを選択しているのか、意識して考えてみるのも面白いかと思います。
たまたま空いた時間、その時間を自分がどう使っているのか、
どう使って行きたいのか。

「余白」を恐れる「進まないことへの恐怖」を捨てる。

進まない。アイディアが出てこない。進むべき道がどっちか、今すぐ決断しろと言われても考えあぐねる。
ここ最近、「やってみないとわからない」のにしばらく立ち止まっていました。
私は基本的にワークショップで現金収入を得て、そのほかの日はウーフ(労働力と衣食住の交換)や、やりたいことをやっています。
ワークショップ以外の日は、何をするかは自由ですが、
ワークショップが継続していくように、というか「コミュニティカフェさるつぼ」の今後を考えて進みたい方向に手を打っていく必要があります。
自分が動かないと、自分が決断しないと、当たり前ですが「さるつぼ」の活動は止まります。
自由と引き換えに手に入れた先行きが見えない暮らしは、不安や心配が自動的についてきます。
進んでいかなきゃならない。
でも最近、「このままじゃだめだ」と思って、
「先」について考えるのをストップしてみました。
数か月後の予定にはワークショップの予定はない。
今ここで何かしらの記事を書いたり、どこかに新しい繋がりをつくりに出たりすべきかもしれないけど、
「暮らす」ことに集中してみました。
立ち止まっていることに、いらいらしないで、そのぽっかり空いた時間に
アウトプットの意識を外して、「インプットだけ」にしてみたのです。
それまでは「すぐアウトプットする」を習慣にしようとTwitterを頑張ったりしていたのですが、
それをぱたっとやめて、
すべての時間を、ただただ暮らすことだけに注いでみました。
掃除したり、選択したり、料理をしたり、農作業やDIYのお手伝いをしたり。
ときどき新しいワークショップの案について考えてみたり。
そしたら、今までとはちょっと違う視点が見えてきました。

空けないと、入ってこないもの

空けないと、入ってこないものってあると思います。
それが何かは人によって違うかもしれないけど、
家事って意外とたくさんあって尽きなくて、タイヘンなんだなぁとか、
さるつぼ広報的にはデスクワークが多かったけど、身体を動かすのってやっぱり気持ちがいいなあとか。
あとは会話の中で、どんなふうにいま私は人と向き合っていて、これからどうしていきたいんだろうとか。
それからたっぷり寝てみたり、
ただただお手伝いの作業に没頭してみたり。
とにかく、先を考えず今に集中してみることにしました。
どんどん流れていく日常を受け入れて、
期間を決めて流されてみること。
ひたすら「暮らす」こと。
それは、私にとって「続けるため」でなく「成長していくため」に必要だった
余白を忘れて走り続けていると、
走り続けるためにどうしたらいいか?ということばかり考えていました。
今後も活動を続けていくためにSNSやブログでどのように情報発信していったら良いのか、
現在のワークショップを安定して続けるにはどうしたらいいのか、
これまでの繋がりを活かして継続するために今できることは何か。。。
知らず知らずのうちに、「安定して」「継続する」ことが目標になっていたんですね。
今の私に必要なのは、「挑戦すること」、というのを忘れてしまっていました。
そこに気が付けて、良かったと思います。
自分にとって本当に大切なことが前よりも見えてきました。
本当にやりたいことではなく、「お金」や「安定」を選んでしまったら、
せっかく現在自由に活動ができる立場にいるのに、イミがありません。
まだまだ駆け出し期間にそんなようでは、
せっかく私が今持っているこの時間の価値は半減どころではない。。でしょう。

成長に必要なもの。

前に進まなきゃ、という気持ちを抑えて、「余白」を入れてみる。
「あえて決めない」期間を設けてみる。
こわいかもしれないし、怠けているように見えるかもしれないけど、
がーっと行き過ぎるだけの時間に、休息を入れてみるのも、いいかもしれません。

ABOUT ME
abeyuka
半農半コミュニティカフェ をめざしている。コーヒーが好きです。